日差しが差し込むという言い方は言葉の重複になる?

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日差しが差し込むという表現を見て、違和感を抱かれる人も少なくないでしょう。

 

これは日差し・差し込むの意味が重複していると感じてしまう為ですが、実際にはどうなのでしょうか?

 

この言い方では重複になるのか、そして間違っているのか、詳しく検証してみましょう。

日差しが差し込むという言い方は重複になる?

日差しが差し込むの「日差し」とは、太陽光や日光、またその照りつける様を表す言葉なので、日が差し込むという意味を含んでいます。

 

つまり、重複した言い方になるかという問いの答えは、明らかに重複になると言えるでしょう。

重複する言葉は間違い?

日差しが差し込むという言い方が重複だったとして、それが正しいのか間違っているのかはまた別の問題となります。

 

なぜなら、日光が差し込む、日差しが降り注ぐという言い方も、意味が重複するという意味では日差しが差し込むと同類と言えます。

 

ですがこうした表現は日常的によく使われており、間違っているという人はいないでしょう。

 

ではなぜ日差しが差し込むに反応してしまうのでしょうか。

 

それは「差」という文字が2つある事に、違和感があるからと考えられます。

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違和感を感じる理由

日差しが差し込むという一文を見て、違和感ともに、突っかかる感じがしたり、字面がやぼったいと感じる人も多いのではないでしょうか。

 

これはつまり、この表現に対する抵抗感があるからでしょう。

 

そして日差しが降り注ぐと言い換えると抵抗感がない、つまり、意味が問題なのではなく同じ文字を2度使う事が要因だと言えるのです。

 

例えばこの違和感を感じるという表現も、感のだぶっている感じが間違いではないかとよく話題に上がります。

 

文法的に明確な線引きはされていませんが、日差しが差し込む同様、表現として美しくないという事は言えるでしょう。

あえて重複言葉を使う場合もある

日差しが差し込む、違和感を感じる等の重複した表現を、あえて使うケースもあります。

 

例えばプロの作家の方でも、文体の雰囲気やシチュエーションに合わせて意図的に使い、1つの表現としているのです。

 

文章を読む時には、間違い探しではなく、そうした文字の使い方にも注目してみるのも良いかもしれません。

 

日差しが差し込むという言い方は重複ではありますが、特に文法上不正解とは言えないようです。

 

自身で使っていて違和感があるなら言い換えれば済む話ですし、ニュアンス的にこの表現がベストであれば使っても間違いではないという事でしょう。

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